久能山東照宮 宮司 落合偉州(ひでくに)氏を講師にむかえて1月23日(火)ホテルパークにて日本道経会主催 東海互敬会、岐阜県モラロジー同友会の講演会が開催されました
お話の要旨
<スペイン船の漂着>
慶長14年(1609)9月30日、フィリピン総督の任を終えて、メキシコに向かい航海していたロドリゴ・デ・ビベロの一行が乗っていたガレオン船サン・フランシスコ号は、暴風雨に遭い、千葉県の御宿に漂着しました。乗船員373名、56人溺死、317人を村民が救助しました。地元の海女さん達が、海に飛び込み溺れて仮死状態になっている船員たちを、体温で温めて蘇生させたという感動的な話が伝わっています。また大多喜城主本多忠朝の明断により、遭難者を大多喜城内や岩井田大宮社に集めて手厚い保護を村民とともに施しています。
ロドリゴ・デ・ビベロはその後、江戸に出て、二代将軍秀忠公に会い、さらに駿府まで来て家康公に面会しています。
家康公はビベロ一行の日本での滞在に便宜をはかりました。 家康公は、約10年前に大分に漂着して、家康公の外交顧問を務めていた三浦按針(ウイリアム・アダムス)に命じて西洋型帆船二隻を伊豆半島にある伊東で造らせていました。
その大きい方の一隻120トンを用意して、その船をサン・ブエナベンツーラ号(幸福を運ぶ聖なる船の意)と命名、田中勝助等21名の日本人にその船でビベロ一行をメキシコまで送り届けることを命じました。
慶長5年(1610)6月13日、ビベロ一行を乗せた船は、浦賀から出帆、10月23日、メキシコへ帰着しています。
<スペイン国王からのお礼>
慶長16年(1611)5月、スペイン国王とメキシコを統治するスペイン副王ルイス・デ・ベラスコは、ビベロ一行の海難救助御礼と田中勝助等返還のために司令官セバスティアン・ビスカイノを日本に派遣しました。
一行は、家康公および秀忠公に謁見し、駿府の家康公にお土産を持ってきました。その中に金銅製の洋時計がありました。家康公が薨去の後、この時計は、久能山東照宮に納められて神庫で300年に及ぶ永い眠りにつくことになります。そしてこの時計は、重要文化財に指定されて、久能山東照宮博物館に常時展示されています。
<世界に誇る洋時計>
この時計は、スペイン国王に仕えた時計師ハンス・デ・エバロによって1581年に製作されたものでした。家康公は気に入って部屋に飾りましたが、当時のスペインと日本は暦法が異なり、時計としては使用されなかったようです。家康公が亡くなった後も神宝として保存され、動かされることはなく、部品も交換されることがないまま400年以上の時を経て現代に至りました。
大英博物館による調査
平成24年、イギリス大英博物館時計部門の責任者であるデービット・トンプソン氏が来日し、時計の内部を調査しました。
丹念に分解、調査が為された結果、「この時計には製造された16世紀からのオリジナル部品が99%残っており、革製のカバーまで残っている。また技巧としても当時として最高技術の結晶であり、ハンス・デ・エバロが制作した時計の中でも極めて傑作。世界に類例がありません。」というものでした。
家康公の平和外交の象徴
このように、この時計はスペイン船救助のお礼に、スペイン国王から家康公に贈られた品として、久能山に大切に収蔵されて今日に至っています。
しかも、昨年、スペイン国王夫妻が来日されたおり、陛下共に「家康の時計」を鑑賞していただく名誉をいただいたことです